社長のらくがきノート

スパゲティナポリタン

スパゲティナポリタンは日本で発明発展し、今また
ブームが続いています。

完璧なレシピをご紹介しますと、言いたいところですが、
調味料など、好みの味に調整して、
自分のスパゲティナポリタンを目指して下さい。


スパゲティナポリタン 最高峰レシピ

〓スパゲティの麺は太め(1.7mm以上)が良い

〓麺をよく茹でる。(表示より2〜3分オーバー)
 茹でた麺にオリーブオイルをかけ
 3時間以上寝かせる

〓水1/3カップで、
  ・鶏がらスープの素
  ・ワインビネガー(酢でも可)
  ・コショウ
  ・マヨネーズ
 上記をよくまぜておく

〓フライパンにパターを入れ、
 玉ねぎ、ピーマン、ハムを炒める。
 寝かせてあった麺をここで投入。
 更にパターを入れる。

〓次に〓で混ぜておいた調味料をすぺて入れ、
 更にケチャップを入れる
 (できればデルモンテの業務用がよい)

あとは、よく炒めて出来上がり、

【ポイント】
 バターを多めに味も濃い目にしたほうが
 俄然美味しくなります。




         
          



写真は、週刊誌の切り抜きです。<br />
私が、25年ぐらい前からいっている<br />
新橋にあるポンヌフの写真です。<br />
イメージで使わせて頂きました。<br />
こちらのポンヌフバーグとセットに<br />
なったものは最高です。
写真は、週刊誌の切り抜きです。
私が、25年ぐらい前からいっている
新橋にあるポンヌフの写真です。
イメージで使わせて頂きました。
こちらのポンヌフバーグとセットに
なったものは最高です。



(2015年01月22日掲載)

佃島の住吉神社

・佃煮の佃島(中央区)に住吉神社があると聞いていた。
 1月3日初詣に参拝した。おみくじは大吉
 銀座方面から佃大橋を渡るか、地下鉄有楽町線月島駅から歩いて
 すぐ

・神社の案内版、その他によると、
 1612年摂津の国の佃村(現大阪市西淀川区)の漁民34人が
 将軍家へ新鮮な魚を献上するために、江戸へ呼び寄せられた。

 その後、1644年墨田川河口の干潟の埋め立てが完了したのち
 移住。ふるさとの佃村にちなんで佃島と名付けた。

・佃島の住吉神社は大阪の住吉大社の分社であり、
 1646年に創建。明治2年再建。

・漁師の出身地佃村は、大阪市西淀川区に今もある。
 神崎川と左門殿川に挟まれた中洲。
 地図を見ると、佃西小学校とか佃郵便局もある。
 阪神電車の千船駅が最寄り。

・400年前に江戸へ移住し、大体13代目位になるでしょう。
 言葉とか文化的な大阪の名残があれば歴史のロマンになるでしょう。現在、
 東西の佃小学校は交流をもっているそうです。

・大阪の住吉大社は、西暦211年、神功皇后の建立とされている。
 平成23年に御鎮座1800年を迎えています。
 住吉の地は、上町台地の端にあり、仁徳天皇の時代は住吉津が
 おかれ、遣唐使も出発したという良港。
 住吉造に太鼓橋。正月には子供の頃、何回も通ったので、懐かしい。
 阿倍野ハルカスから南方面へ約10km。
 上町線で阿倍野から10駅位です。





(2015年01月20日掲載)

ヨゼフ・ピタウ先生の思い出

1952年イエズス会宣教師として来日され、
上智大学長(75年〜81年)を務められました。
その後、ローマカトリック教大司教として、
ローマ法王ヨハネ・パウロ2世の補佐役として
バチカンに戻り、法王庁の要職を歴任されました。

その間、ビタウ先生がローマ法王に選ばれるということを
耳にし、コンクラーベの煙の色に大いに関心を持ちました。

退官後に再来日をしておられたそうです。
2014年12月26日に御逝去されました。86才

上智大学学長ご在職中に、私は大変お世話に
なったことがあります。
仕事上、解決すべき問題があり、その解決には
ピタウ学長のご理解がどうしても必要になり、
お目に掛かりました。

縷縷ご説明申し上げましたところ、
ピタウ先生は一言。
「あなたが言われたことは、学生のためになることですか」
と、ご下問がありました。
私は、その通りでございますと申し上げたところ、
ご了解を頂きました。

私はそれまでの伝統的な稟議書方式のやり方を
想定していましたので、驚嘆致しました。

写真の色紙は先生がバチカンへ戻られる時に戴いたものです。
素晴らしい文章と文字。
私の宝物です。





(2015年01月09日掲載)

茶の菓

新年早々、京都からお菓子のプレゼントを頂きました。
赤いお正月らしい風呂敷に包まれ
豪華な三段式の箱です。

巴里のラングドシャにお農茶を合わせたお菓子。

おいしさへのこだわりをつらぬく京都の感性に、
伝統的な巴里の洋菓子の技術が合わさって二つの古都、
京都と巴里がお菓子で出会う美味しさのコラポレーション。
京都生まれの私たちがつくる新しい日本のスイーツ
(パンフレットより)

京都の古く歴史あるものと現代の洗練された
技術が合わさり、見事だなと思います。
初めてこのような美味しいものを頂きました。
ありがとうございます。

     





(2015年01月09日掲載)

たかじん  〓

たかじんには2つの側面がある。
歌手とタレント(司会)。
私は、歌手としてのたかじんのファンである。
バラードの魅力的な歌は心にぐっと来て、何とも言えない位、感動がある。

1995年(H7年)私の父が倒れる。
(この年、阪神大震災。地下鉄サリン事件。)
東京から大和郡山まで、見舞いで何回も往復した。
その間、たかじんのテープを何回も聞いたのがはじまり。

たかじんの歌は、みな素晴らしい。
これほど女性の心情をうまく歌った人はいないし、私を和ませてくれる涙する歌も何曲かある。

何回聞いても心にしみる。
新しい世界、魅惑的なワールド
Ballad For Woman

たかじんの歌はバラードのメロディと詩とたかじんの声がピタットくる。
それ以外の組み合わせはない。

たかじんの地声、しゃべりは唯我独尊的な音声で、雑で品格に欠けると思う。
しかし、歌は、信じられない位、伸びやかで魅力的。

よく澄んだ甘い歌声は素晴らしい。感動。
私は歌手としてのたかじんの大ファンである。

たかじんの曲を聞きながら詩を読んでみる。
詩と曲と歌声は連理の枝。
不即不離
河合寛次郎流に言えば、曲が選んだ詩。
詩が待っていた曲。
ということになるでしょうか

その後、2008年、たかじんのファンクラブに入会した。
右の最初の写真がプラチナカード。
たかじんの東京での最後のライブコンサートが新宿厚生年金会館であった。
2009年10月13日。
多数の女性が追っかけで来ていた。
当日大阪から50%は来られている様子。

三宅久之氏もご夫婦で来ておられた。
私はしびれた。

以後、たかじんの歌を聞くだけでなくカラオケで歌い始めた。
たかじんの歌は難しい。

たかじん亡き後。
2014年秋。こぶくろが大阪フェスティバルホールで〈大阪恋物語〉
を歌った。
多くの大阪ファンが泣いていた。
私もTVで見ていた。
テイストも情感もたかじんに及ばないと思いました。
それは比べるほうがオカシイかな。

14年11月20日の日テレのベストヒット歌謡祭が、やはり
大阪フェスティバルホールであった。
宮根さんが事前広報をTVで何回かやった。
玉置氏が生前、たかじんとの約束の曲が果たせなかった。
そのお詫びに一曲歌った。
〈やっぱすきやねん〉
失望。
バンダナ巻いて歌ったが、たかじんには及びもつかない。
やはり、比べるほうがオカシイが、
期待が大きかったのである。








(2014年12月25日掲載)

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